どうも、理系です。
以前の記事で述べているように、私は一人が好きだ。
他の人よりもいろいろ考えてしまうから、疲れるんです。
特に、本音を出しちゃいけない場とかはね。
仕事なら割り切れるのですが。。。
うん、なんて言ったらいいんだろうか、会うこと自体は苦痛じゃないんだ。
会話も苦痛じゃないんだ。
無条件で同意しないと干される環境が苦手なんだ。
気を使い倒し続けないといけないから。
でも、周りは、「協調性がないのが欠点」と言ってくる。
友達が多ければ多いほど良い、周りに合わせられない人や、友達が少ない人は変わった人。
「コミュ障」という言葉はその考え方をモロに反映していると思う。コミュニケーション「障害」ですからね。
でも、ちょっと待って、「友達100人」なんて、その中に本当に助けてくれる友達って果たして何人いるのかな??
「一人ぼっち=良くない」、「みんな一緒=いい」そういう風潮って、一見平和だけど、出る杭を打つ風潮を育てるから、弊害がデカいと思うんですよね。
「みんな一緒」をかなえるためには、みんなの意見を同じにしなければならない。
だから、自分の意見を主張すると、わがままな人というレッテルを張られる。
だから、「一人ぼっち=よくない」と心のどこかに刷り込まれているみんなは、自分の意見を押し殺して、他人の意見に賛同する。
もはや脅迫観念みたいですね。
「スクールカースト高い勢の意見に賛同しないとシカトされる」って怖がってるのは、まさにこれ。
何故なら、対立するリスクならびに、対立したことにより消費するエネルギーを考えると、とてもしんどいからです。
この強迫観念にとらわれて、本当の友達ではないけれど、意見が同じだから(本当は無理して合わせている)とか一緒にいるから(一人が怖いから一緒にいるだけ)友達と思っている(自分に思い込ませている)だけかもしれない。
SNSなんてもっとそう。フォロワーがステータスみたいになってるけど、何千人のフォロワーのうち、やり取りしてるのはほんの一握りじゃない?
友達はブランド品とは違う。
マウントの道具じゃない。
持っていればいるほど偉いとかはない。
「友達といるのが辛いです。」
— 藍にいな (@bekko_ame_) February 28, 2018
友達は大切にするべきか?
そんな話を描きました。#セキララマンガ pic.twitter.com/W9LKIrqx71
おそらく、「1対大勢」の孤独を味わった人や、一人が好きな人くらいにしかわかってもらえないと思うのですが、人が嫌いなわけではない。
弱ったときに助けてくれる友達はいる。
ただ、意見を言って離れていくような人、明らかに建前でしか付き合えない友達は友達だと思っていない。
こう思うのも、単純に嫌われるのを過度に恐れているせいなんだろうなー
嫌われるのは怖いけれど、人といると疲れるという矛盾。
https://withnews.jp/article/f0181007000qq000000000000000W06810101qq000018096A
周りがカリカリしていると、「ひょっとしたら、私のタイピング音でイライラしているのかな?」とか、「自分が○○と言ったから怒っているのかもしれない」と最悪のパターンの想像をしてしまい、疲れる。
そして、「こうしたらよかったかも」と脳内大反省会が開催されて、さらに疲れる。
それなら、距離を置いた方が楽だと思い、一人の時間を求めちゃうんだろうなと思いました。
多分、この記事を読んで、「この人病んでる」って思った人は幸せ者だと思います。
孤立を知らないってことだから。
私は、人嫌いではないし、友達はいる。
ただ、人と関わると色々考えて頭がパンクしやすいから、あえて一人の時間を作ってる。
誤解なきよう。
緊急事態の時に助けてくれるのが本当の友達だと思った話がある。
大学の研究室で私が腹の激痛で立ちくらみになって倒れた時に、ずっと看病してくれた友人がいます。
普通の人は、私の意識が戻った時点で、ひとまず安心と離れて行きましたが、その人は、顔面蒼白だった私の顔色が戻るまでずっと看病をしてくれました。
野次馬を追っ払ったり、飲み物を持ってきてくれたり、普段はほぼ下ネタしか言わない奴なのに…
なんやねん、惚れてまうやろー!
ってなりましたねw
いや、だって、いくらマブダチレベルで親しいとはいえ、異性の看病を公衆の面前でするのは勇気いるでしょ。
(その後数日間は、案の定、勝手に付き合ってるという扱いを周りから受けましたw)