理系だもの

コミュ障理系会社員兼バレエダンサーの日記。健康食品のガチすぎるレビューから、ニュースについての自分なりの意見を書いたりしています。ためになる記事も多分ある。理系だもの。好きなこと:バレエ・ダンス鑑賞・音楽を聴くこと(推しは奏音69さん)、嫌いなこと・人:フェミニスト・媚びること・ストレッチ

誰のために道化を演じる??

どうも、理系です。

 

ツイッターで述べていたように、

「優しすぎて、真面目過ぎてつらい思いをしている人」

超具体的に言い換えるなら

「職場や学校ではいじられキャラだが、本当は真面目にからかいの言葉を受け止めてしまっていて傷ついているが、人間関係を壊したくなくて、傷ついた自分をさらけ出せない人」

の苦悩について述べていこうと思う。

 

 

 

「優しさ・真面目さ」が生む厄介なもの

皆さんは「共依存」という言葉をご存知でしょうか?

よく、DVされているのに別れられない原因として「共依存」が挙げられるのですが、これは、

 

自分の価値を、周囲の基準だけを頼りに判断する。
自分がどうしたいかではなく、周囲の期待に応えることだけに必死。
他の人の問題を解決することに、いつも一生けんめい。

 

というように、判断の基準や根拠が自分の意志ではなく他人という状態なのです。

 

皆さんの中には、共依存の特徴を見て、「え、優しくて真面目でいい人じゃん」と思った方がそこそこいらっしゃると思う。

 

実際に、共依存に陥る人は優しくて真面目な人が多い。

 

そもそも、共依存という言葉は、アルコール依存症の夫を持つ妻が夫のために、必死で夫の飲酒によるトラブルを解決しようとするが、妻が必死になればなるほど、問題の当事者である夫は、自分の健康や社会生活や家族のことに責任を持たなくなり、ますます飲むという悪循環が生じていたという状況から生まれた言葉です。

 

妻は夫の飲酒問題を解決することに己の存在価値を見出し、夫は、飲酒してトラブルを起こしても解決してくれる妻に依存して更にだらしなくなる。

 

難しいわ!

という方はこちらの漫画で理解していただきたい。

画像1

https://note.com/yuki1192/n/n615c7ca0be51

 

共依存状態の人は自分の評価を他人にゆだねるので、「他人に○○されると存在価値を見出すことができる」とかんがえてしまう。

 

これをいじられキャラに置き換えて考えると、

「普段はパッとしない僕だけど、いじられているときは、他人の注目を浴びることができる!承認欲求満たされまくり!」となる自己評価の低いいじられキャラと、「相手よりも上の立場に立つことで承認欲求を満たされる」いじりキャラが出会うと考えられる。

 

これは完全に共依存フラグ立ちまくりだろ!

 

で、ここで、共依存状態になってしまうと、いじられる側は「本当は傷ついているけれど、相手にいじられなくなって、自分の承認欲求が満たされないのは嫌だ!」となって、傷ついていることを打ち明けられない。いじる側は「こいつ、これくらい許してくれんだろ!」がエスカレートして暴力レベルになる。

 

怖いことに、脳は、報酬に慣れてしまうと、それよりも強烈な報酬じゃないと快感を感じない脳に変わっちゃうんだよなー

で、そう簡単には戻らないんだよなー(可塑的変化という)

 

境界線を引くのはあなた

共依存は人間関係の依存症という意味では、脳の回路が変わってしまっているため、抜け出すには、自分の評価の基準を自分の中にもつという認知行動療法が用いられます。

 

いじり(遊び・冗談)と、いじめ(暴力)の境界線を引くのはあなた。

 

「自分は相手のために生きているのではなく、自分のために生きている」

普通のひとなら当たり前ですが、それが当り前じゃない人もいるし、普通の人でも、あることがきっかけで、共依存的な考え方に陥ることもある。

 

自尊心の欠如

自分が生まれながらに持っている価値を子ども時代に認めてもらえなかったため、人と比べて上か下かという外の基準を頼りに生きようとする。
内的な価値の手がかりがない。

 

境界の問題

子ども時代に自分をきちんと守ってもらえなかったり、親からべったりくっつかれたために、適切な境界線の引き方がわからない。
壁を作って孤立したり、境界がないまま相手に侵入され蹂躙されてしまう。

 

現実性の問題

自分をそのままの姿で認められないため、完ぺきならOK、少しでも間違うとダメ、といった白黒思考に陥る。
人間は間違うこともあれば弱いところもあり、感情も揺れ動くものだ、という現実を認められない。

 

依存の問題

子ども時代に自分のニーズが満たされなかったり、親が先回りして何でも与えてしまうために起きる。
「人に頼ることをせず、なんでも自分の力でやろうとする」か、「自分の責任で自分のニーズを満たせず、他人に頼ってしまう」かのどちらかになる。

 

中庸の問題

適度な自己表現やセルフコントロールが難しい。
自分の衝動や欲求を吟味することができず行動に移したり、がちがちに我慢して抑えすぎたりする。

 

これらの問題の中には、自分に当てはまるものがあったりするし、それは「相手軸」で生きていて、「自分軸」で生きてないことが原因なんだなと。

友達や後輩をかばって傷ついたり、完璧主義者だったり、一人で何かをするのが気を使わなくて済むから一番楽だと思ってしまうのも、真面目で優しいが故の弊害なのかもしれない。

 

この記事を書いたきっかけ

今の職場で、私はいじられています。完全に不本意です。

というのも、私がその場にいるときだけでなく、陰でからかわれたり、笑いものにされているからです。

いじっている人は、親しみを込めていじっているつもりかもしれませんが、私は、いじる人が一番人との間に越えられない壁を作る人(いじられる人はいじられない人側にはそう簡単には移れないから)だと思っていますし、気持ちよくなるのはいじる側だけ。

こっちからしたら「私はお前のオ〇ニーのオカズじゃねーんだよ!」と言ってやりたい。

まぁ、コンプライアンスの問題があるので、職場でこんなこと言いませんけど。

 

流石に、直属ではないにしろ、上司に「私はあなたのオ〇ニーのオカズじゃないので、あなたは楽しくても、私は不快です。あなたが思っている以上に私は真面目なので、言葉をうのみにしてしまいます。なので、冗談が通じないつまんないやつだと思って接してください」なんて言ったら、とんでもねぇ奴扱いされるな。

でも、変に被害者面して騒ぐよりもこっちの方が私はすっきりするけどな。

 

最後に

いじられて笑っている君へ、その笑顔は自分の心からの笑顔?他人のための笑顔?

http://www.a-h-c.jp/article/4950