どうも、理系です。
ミスチルのHANABIはいいぞ!!
今回も道徳を説きたいのか、脳科学の記事を書きたいのかよく分からない記事を書いていく。
前回の記事はコチラ
今回、誰もが抱えている問題として、「嫉妬・妬み」ってやつを取り上げようと思う。
妬みは
・宗教上においても、そうでない場合においても、不幸な感情である。
・自分の所有しているものから喜びを見出すのではなく、他人の所有しているものから苦痛を見出す
・他人が自己より優れた物や特性を有している場合に、苦痛、劣等感、敵対心を伴う感情である。ただ、他人が自己より優れたものを有しているだけでは不十分であり、その比較の対象の物や特性が自己と関連性が高いか否かが妬みの強さを決定する。
この妬みの感情があるため、誰にも「気に食わない」人間が存在し、妬みの対象に不幸に見舞われると「ざまあ」と快感を覚える。
その一方で、人には、他人の痛みに共感する脳機構も存在する。(友人が殴られているのを見ると、自分の脳の痛み関連領域が活性化し、自分も痛く感じてしまう)
後者については過去記事にて軽く触れているので、今回は、「人の不幸は蜜の味」と感じてしまう脳機構を紹介する。
妬みは心の「痛み」
何を道徳の教科書みたいなこと言ってるんだと思った方、これ、脳神経科学的に見てもその通りなのです。
fMRIを用いて、非常に妬ましい相手と、そうでもない相手のことを想像した時の脳の活動を測定したところ、妬みの強さに応じて痛みをはじめとする不快情動を司る前帯状回が興奮する。
この結果から、妬みは不快な感情であり、実際に痛みは感じていなくても、脳内では痛みに関連した反応が起きているということがわかる。
人の不幸は蜜の味の脳機構
先ほどと同様に、fMRIを用いて、最も妬ましい相手に不幸な出来事が起きたと聞かされた時の脳の活動を測定した。
その結果、妬ましい相手の不幸話を聞いた被験者の脳において、快感を司る線条体が活性化する。
この結果から、嫉妬している相手の不幸は快感であり、この快感反応は、嫉妬によって生じた不快情動を相殺しているんじゃないのかなと予測できる。
これは、妬みが相手の優位性によって生じるものであり、足を引っ張るなどの行為によって相手を不幸にすることより、相手の優位性が失われると妬みが解消されるということに矛盾しない。
「妬み」の建設的な付き合い方
では、妬みとうまく付き合っていくにはどうすればいいのだろうか?
妬みが相手の優位性によるものであることから、相手の優位性をなくすことが妬みの解決方法であることは間違いない。
問題は、どうやって相手の優位性をなくすかである。
1.非建設的な方法
相手の足を引っ張る行為は、自分が努力しなくても、相手の優位性をなくすことができる。ただ、仮にこの方法で快感情を得ても本当の意味で幸せでしょうか?
2.相手に追いつくことで優位性をなくす
これは建設的な方法である。
妬みの感情を自己の向上心に変えて努力するというものである。
3.相手にはない自分の良さに目を向ける
これは、現実逃避チックに聞こえるかもしれないが、建設的な方法だと思う。
相手に嫉妬することにより囚われた視野を広げてみよう。相手より、自分が優位なことって結構あると思う。で、案外そっちの方が自分にとって大事なことかもしれない。
これは、相手が優れた物を有していても、それが自分に関連しなければ強い妬みは抱かないという性質を利用している。
参考
妬みと他人の不幸を喜ぶ感情の神経基盤
日本生物学的精神医学会誌 22(1): 51-54, 2011
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbpjjpp/22/1/22_51/_pdf
まとめ
誰も皆、嫉妬という問題を抱えている。だから相手の不幸な明日を願うのか
誰も皆、嫉妬という問題を抱えている。だけど、自分の素敵な明日を願うのか
どっちを理想とするのかはあなた次第です。
あ、ちなみに、今回の記事にしたHANABIのこの歌詞は凄まじく自分に刺さる。
「考えすぎで言葉に詰まる自分の不器用さが嫌い。でも、妙に器用に立ち振る舞う自分はそれ以上に嫌い」
ちょっと疲れてんのかなぁ。