どうも、理系です。
こういう系の記事を短期間に何本も出してたら、「この人病んだ?」って思われてるんじゃないかと不安になる。
今のところ、病んではいないので安心してくれ。
ただただ、専門知識を無駄遣いして、人間の脳の醜さを掘り下げるのが好きな悪趣味な奴だと思っておいてくれ。
先に予告しておく。今回の曲はきくおPの曲である。
って言っても、ボカロオタ以外にはわからんか。
下の絵みたいな、グロくて狂気も入っている系の曲である。
無理な人は廻れ右。
今回の曲は「ごめんねごめんね」です。
※U字工事ではない
ええ、推しが踊ってたから取り上げました。
推しのダンスもなかなかに惨さをむき出してるのですが、歌詞がね。
きくおPって時点で予想はつくと思うのですが、エグイわけですよ。
歌詞 青字は解釈(閲覧注意)
私は何の味もしないと思うけど パパに喜んでもらえるなら
「私」は「お父さん」に虐待されている。「私」は「お父さん」を喜ばせられないけれど「お父さんが」喜んでくれるなら、虐待されても構わない。
うんちもそのまま詰めて切って焼いて パパのために体が崩れていくけど
虐待中
ああ 崩れた私の体は可哀想だって 優しく手を引くの
虐待を受けている「私」を「お父さん」から助けようとする「知らないお兄さん」登場。これで「私」は救われると思いきや
許して 許して かわいそうな私を
ごめんね さよなら パパから逃げるのは悪い子
ごめんね 許して パパじゃない人を好きになるわたしを
「私」は「お父さん」から離れることを良くないことと思って離れたがらない。
食べたりしないでそっとしてくれる 崩れた私は醜くてダメだって
「お兄さん」は「お父さん」と違い乱暴はしない。乱暴されて傷ついた体はダメだという。
ああ 崩れた私の体は気持ち悪いって 閉じ込められておわり
「私」は「お兄さん」のその言葉を曲解する。醜い私が嫌いだから「お父さん」と「私」を引きはがして「私」を閉じ込めたと解釈する。
許して 許して 寂しがりな私を
ごめんね さよなら パパのところに戻る悪い子
ごめんね 許して ひどいパパしか好きになれない私を
「お兄さん」ごめんなさい「私」は「お父さん」の虐待を受けない生活はさみしい。「お父さん」に会いに行きたい。
私が戻ってくるって信じてたって言ったの
崩れた私を最後まで食べつくしたい そう言ってくれたの
「お父さん」は虐待のうわさを聞き付けた警察官に囲まれている。
「お父さん」は「私」が戻ってくると信じてたといい、再び虐待を始める。
許して 許して かわいそうな私を
ごめんね おいしい? それは温かいハートの味
ごめんね いたいけど 満たされた心臓を
「お父さん」は「私」を虐待して喜んでくれている。
虐待の傷は痛いけど、お父さんが喜んでくれて心が満たされている。
許して 許して 寂しがりな私を
ごめんね 痛いけど おいしそうに食べてくれるだけで
嬉しい さよなら ハートじゃないところはみんなで食べて
ストックホルム症候群とは
突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。
ここまでは知っている人が多いと思う。
ストックホルム症候群の頻度
ドラマや映画にも使われるこの心理状態だが、人質事件の現場でこの現象が起こるのはたった8%であり、まれなことである。
恐怖と優しさという矛盾した感情
人質はこれから起こるであろう恐ろしい出来事を予測し、彼らは死ぬだろうと確信する。
↓
犯人により人質はある種の幼児化を経験する。-子供のように、彼らは許可なしに食べることも話すこともトイレに行くこともできない。
↓
犯人から食べ物を与えられるなどの親切により、「この人に生かされている」という錯覚をする。
(本能的な報酬を得ることにより報酬系が活性化し、犯人の親切行為によりそれまでのストレスが解消するような錯覚に陥る。)
しかし、前にも述べたように、人質においてこの現象が起きることはかなり珍しい。
そのため、ストックホルム症候群特有の脳の変化についての知見は見つけられず、また、神経科学の分野においても、PTSDの一種として取り扱われるようである。
こっからは俺的解釈
先ほど、報酬という言葉を挙げた。
この脳にとっての報酬というのは強烈なもので、下手をすると抜け出せなくなる(依存症)ものである。
報酬は、物質(ex.薬物、食べ物)のこともあれば、行動(ex.買い物、セックス)、そして人間関係の場合もある。(ex.承認欲求を満たされると快感を覚えるので、恋人やSNSに依存する)
ストックホルム症候群は、犯人から与えられる本能的な報酬(生きることを許可する行為)により、犯人との人間関係(この人が私を生かしてくれる)に依存状態になることで起きるのではないか。
そして、犯人をかばう行為は、依存しているものを失う恐怖からくる行為なのではないかと予想される。
つまり、ストックホルム症候群はPTSDと依存症を足して2で割ったような精神的状態ではないかと考えられる。
一言で言えば「共依存」。詳しくは過去記事へ
ストックホルム症候群の亜種
犯人と人質という人間関係に類似した状況というのが虐待者と被害者だと思う。
被害者が
・見捨てられ不安が強い
・自分を過小評価している
・我慢するのは当たり前と思っている
・一人ではやっていけないと思っている
・自分以外の人から依存されることで自分の存在価値を確認する
・しがみつきと愛情を取り違えている
・相手に問題があるのは自分のせいだと思い込んでいる
・自分を犠牲にしても相手に尽くす
・自分と相手との境界線がはっきりしていない
・自分はもっと頑張らなければと思っている
というような自分に自信がないタイプであると、自信がないがゆえに、暴力によってでも自分の存在意義を認めてくれる相手に全てをゆだねてしまう。
これは、人質でいうところの自分の生き死にを犯人にゆだねている状態と酷似していないかと私は思うのである。
ごめんねごめんねの「私」もこのようなタイプで、自分を過小評価(ダメな子だからという歌詞から分かる) し、虐待によって自分の存在意義を認めてくれる「お父さん」との人間関係に依存しているのではないかなと思う。
そのように考えると、ストックホルム症候群はPTSDよりもむしろ、依存症に近いものではないかと思ったり思わなかったり。
本当にストックホルム症候群の神経科学的な切り口の文献が少なくて、まとまらない感じになっちゃって
「ごめんね ごめんね」