理系だもの

コミュ障理系会社員兼バレエダンサーの日記。健康食品のガチすぎるレビューから、ニュースについての自分なりの意見を書いたりしています。ためになる記事も多分ある。理系だもの。好きなこと:バレエ・ダンス鑑賞・音楽を聴くこと(推しは奏音69さん)、嫌いなこと・人:フェミニスト・媚びること・ストレッチ

必要以上に自分を否定するのはナンセンスであることを、オタクにも子どもにも分かりやすく説明してみた。

悪口言われたんだ…嫌われてるのかな…
自分なんていない方がいいのかな…
とあなたの大切な人が漏らしたら、あなたは何と答えるだろうか…

恐らく、大切な人であろうとなかろうと、「あなたを必要としている人が必ずいるよ」的なことを答えると思う。

ただ、この言葉は、責任を伴っていなければ、ただの無責任な哀れみでしかない。

こんな哀れみ程、言われて惨めなことはない。

イメージして欲しい。この言葉を発した人が5秒後に人の陰口を叩き出したら…
同情なんて嘘だっ!
ってなるのは当然のことだと思う。
そして、それが繰り返されたら人間不信・対人恐怖症になるのは自然な流れだと思う。


こんなこと書いてると、性根がねじ曲がってると思われるかもしれないが、私は「あなたを必要としている人が必ずいるよ」という言葉には納得している。

ただ、そこに責任が伴っていないのが許せないだけなのである。

では、私が何故、「あなたを必要としている人が必ずいるよ」という言葉に同意するのかを説明していこうと思う。

例えば、貴方がとあるユニットのあるメンバー単推しと仮定する。かなり激しいタイプの単推しだった場合、推しなら何しても許せるけど、推し以外だとうーんってなったり、無感情になる現象が起きると思う。

でも、好きっていう感情がなくても、推し以外のメンバーの存在は否定していないはず…

それに、貴方が推してないメンバーを推してるファンってのは、必ずいる。逆も然り。

これを身近に置き換えてみよう。ある人に話しかけたけど微妙な反応で傷ついた。あの子にはもっとハイテンションで接するのになぁ…
みたいなケースって結構あると思う。
でも、その微妙な反応は、別にあなたの存在を否定しているわけではない。
多分その人には別に推してる友達がいて、たまたま貴方がその人の推しじゃなかったってことである。

もっと分かりやすく言おう。
ピーマンは嫌われがちな食材であるが、全人類が嫌いなわけではない。
ピーマンたっぷりの料理を好む人も存在する。

更に、誰かがピーマン嫌いと言ったとしても、ピーマンが存在することを否定なんてできないし、ピーマンの持つ栄養(価値)を否定なんてできない。

ピーマン嫌いと言われて自分の存在を否定されたと思い込むピーマンは、ピーマン大好きな人の存在を知らない。
だから、みんな自分の事を嫌ってるから僕はいない方がいいよねって思考になる。
自身が思ってるみんながほんの一握りということに無自覚なまま…

狭い範囲内で否定的な言葉をかけられて、それがこの世の全てみたいに思ってしまってる。
これに気づくだけでも自己肯定感は上がるのではないかと思う。


自分を責めるあなたへ。

人任せにして怠ける人がいる中で、人のせいにせず一人で頑張る貴方は偉いです。

評価されるために目標に向かってひたむきに努力する姿は素晴らしいです。

誰よりも優しくて、努力家で我慢強いあなたは、どこまでも自分に厳しい。

そして、真面目だから、心無いこと言われたら、真面目に受け取ってしんどくなるんだよね。

貴方は普通の人よりも頑張ってます。

評価してくれる人は、必ずいます。

俺は好きやで。真面目で努力家で優しいとか最強やん。