理系だもの

コミュ障理系会社員兼バレエダンサーの日記。健康食品のガチすぎるレビューから、ニュースについての自分なりの意見を書いたりしています。ためになる記事も多分ある。理系だもの。好きなこと:バレエ・ダンス鑑賞・音楽を聴くこと(推しは奏音69さん)、嫌いなこと・人:フェミニスト・媚びること・ストレッチ

何故努力し続けるのは困難か、脳科学で解説してみた

どうも、理系です。

努力というワードにどのようなイメージを抱くだろうか?
恐らく、多くの人が抱く努力のイメージは、嫌なことをコツコツとやるという苦痛を伴うものであり、許されるならやりたくないこと(でも、社会の風潮上できた方が良いこと)であると思う。

それゆえ、努力家であることは美徳とされている。天才は1%のひらめきと99%の努力であるなんて言葉が、今も有名なのはまさに努力を美徳とし、努力するように啓発するためではないかと思う。


ここで疑問が生じる。
何故、努力をし続けることは投げ出したくなるくらいしんどいのかということである。
これは私が努力家でない人の気持ちが分からないなんて次元の話ではない。
何故、我々は、努力し続ける、ことに退屈や精神的苦痛を味わうのか、そして、その一方で、努力に対して精神的苦痛を感じない人も一定数いるのは何故か、そこに脳機構の違いが存在するのかについて調べてみた。

もし、脳機構に違いが存在するのであれば努力家であることは意志の強さではなく、脳の機構によるある種の才能や無意識レベルで発揮される能力であると言えるかもしれない。


Dopaminergic Mechanisms of Individual Differences in Human Effort-Based Decision-Making https://www.jneurosci.org/content/32/18/6170.abstract
という論文では、この私の疑問に答えてくれている。

この論文では、被験者に低あるいは高難易度のボタンをひたすら押すという最高につまらぬ課題をさせる。課題をやり遂げると、低中高の確率で報酬が得られる。
そして、この実験時の脳の活動を測定する。
この条件において、報酬が得られる確率が低くても、高難易度の課題をやり続ける人と、報酬が得られる確率が低いと課題を投げ出す人がいた。その両者の脳活動には違いが見られた。

報酬確率が低い場合は特に、課題を投げ出す人と比べて課題を遂行する人は、課題遂行時の腹側内側前頭前皮質と線条体におけるドパミン活性が上がる。
これらの部位が快感や幸福感を司り、報酬が予測される状況においても活性化されることを考慮すると、課題を遂行する努力家は、投げ出す人よりも課題遂行の結果得られる報酬の価値を大きく評価していると考えられる。

また、課題を投げ出さなかった人の島皮質のドパミン活性が低下していることも明らかになった。
島皮質は痛みをはじめとして、様々な刺激により活性化する。
これを考慮に入れると、課題を投げ出す人は、つまらない課題を続けることで島皮質が活性化し、退屈をはじめとする精神的苦痛(心の痛み)を感じると考えられる。
逆に努力家の人は島皮質が抑制されているため、課題遂行による精神的苦痛を感じない。

以上を踏まえると、努力家の人にとっては、努力というものは意志の強さで維持するものではない。

そもそも意志の強さどうこうなんて言葉が出てくるほどの精神的苦痛を感じておらず、努力に対してかえって快感や多幸感を得ているのである。

じゃあ、努力が続かない私は何でも努力できないと思うのは早計である。
努力家の人にとって、努力をしている時に幸福感に関する脳部位が活性化していることを踏まえると、その人にとって幸せや好ましいことにリンクする努力というのは精神的苦痛を伴いにくいのではないかと思う。

例えば自分が好きな漫画やアニメ、ゲームのキャラ名やセリフを覚えることは自分にとって好ましいことにリンクするから、具体的な報酬がなくても覚える努力に精神的苦痛を伴わない。

そう考えると、「脳は怠け者だから努力を継続するのは困難」という論は脳科学的には正しくなく、「脳は大した報酬がないのにもかかわらず、つまらぬことへ努力することにより精神的苦痛を覚えるため、努力を継続するのは困難」というのが正しいのである。

そして、やはり好きでもないことを努力し続けるというのは非常に困難であり、好きになるのが努力し続けるためのカギになるのかもしれないと考えた。