どうも、お久しぶりです。理系です。
ブログさぼってすみません。
新年一発目から話題が重いねんというツッコミはスルー。
世の中はコロナの話ばっかりだから、私がコロナの話をしても、二番煎じになるだけだろうし、すぐに他の情報に埋もれてしまうから。
ということで、コロナ以外の話題でと思い、以前やっていた、曲を聴いて、考えたことをつづっていこうと思う。
- 今回の曲はYOASOBIさんの「群青」
- 謙虚の定義
- 相手の言葉を否定すること・自分のことしか考えてない言動は敬意か
- 自分を傷つけて立場を下げるのは敬意か
- 自分を卑下した回答をしてしまうのは何故か
- まとめ
今回の曲はYOASOBIさんの「群青」
公式の解釈を私は知らないが、この曲のテーマは「自分に自信がない人」が「本当の自分を表現できるようになる(≒自分に自信を持つようになる)」心の変化なんだと私は勝手に解釈した。
自分に自信があるかどうか(以降は自己肯定感という)は、嫌なことがあった時にそのことをどう処理するかに影響することは想像に難くないだろう。しかし、良いことがあった時にこそ、自己肯定感の有無というのは言動に大きな差を生み出す。
例えば、あなたが今日のファッションを褒められたとする。
この誉め言葉に対して、あなたはどう答えるだろうか。
回答例1「そんなことないよー。これ安物だよー。」
回答例2「そう、これはお気に入りなんだ。」
大雑把に分けるとこの2通りのニュアンスのことを返すのではないだろうか。
そして、多くの人が、回答例1のように答えることが、謙虚で望ましいと考えているのではないだろうか。
本当にそうだろうか。
謙虚の定義
まず、一般に言われている広義の謙虚と本来の謙虚の意味のギャップがないかを広辞苑で調べてみる。
「謙虚とは、つつましく控えめなさま。おごりたかぶらず素直なさま。」
この定義に従うと、「謙虚な人」というのは、自分の位置を変えずに相手の言ったことを「素直に」受け止める。これにより、相手を肯定することになり、相手の立ち位置が少し上がる。
つまり、一般に言われている広義の謙虚と本来の謙虚の意味にはギャップがある。
相手の言葉を否定すること・自分のことしか考えてない言動は敬意か
広義の謙虚の意味に従うと謙虚に見える
「そんなことないよー。これ安物だよー。」
という回答がなぜ謙虚でないのかについて考察する。
まず、広辞苑における謙虚の意味と照らし合わせると、この回答は「素直」とはいいがたいのではないか。
自分で本当にこの服を安物と思ってる?自分で本当にこの服は良くないと思ってる?
恐らく、胸の中では「No」と答えるだろう。
じゃあ、なぜ心にもないことを言ってしまうのか、それは、「本当の自分の声」に対する自信がないのである。
もっと簡潔に言うと不安なのである。
グラグラの自己肯定感で、「私が」人に褒められるわけなんてないと思っている。
口癖は「どうせ私なんて。。。」
でも、褒められた。
でも、そのまま受け止めたら、「私が」傲慢な人と思われるかもしれない。。。
「私が」相手から嫌われるのが怖い。
こんな葛藤が脳内で行われたのちに、嫌われるのが怖いから、自分を守るために相手の言葉を否定する。
つまり、相手のことを全く思っていないのである。
脳内の思考の主語が全て「私が」という状態で、相手を敬っていると言えるのだろうか?
これで済めばまだ軽傷である。
自分を傷つけて立場を下げるのは敬意か
褒められた時に、聞いてもいないマイナスの言葉を返すこともあるがこれはもっとひどいことである。
本人からすると、自分のマイナス情報を提示することで、自分の立場を下げて相手を敬おうとしているつもりなのだろうが、相手からすると、発言を否定された上に、見ようとも思っていなかったマイナス面を見せられるのである。
自分を傷つけてみじめな姿になる過程を相手に見せるというのは本当に敬意なのだろうか?
相手に痛々しい感情を抱かせてしまい、かえってよくないのではないかと思う。
自分を卑下した回答をしてしまうのは何故か
周りに嫌われたくないという気持ちが暴走して「自分は嫌われてないという証拠(=一回目よりも加速した誉め言葉)」を求めるからである。
でも、褒められたところで、「自分に自信がない」という根本の問題は解決できないので、さらに自分を傷つけてかまってもらおうとする。
完全にメンヘラの匂いがする悪循環である。
後は依存症のようにエスカレートしていくだけ。
まとめ
謙虚と卑下の違い、そして、相手に卑下されたときに感じるもやもやとした気持ちが生まれるわけ、なんとなくお分かりいただけただろうか。
人と接するときは素直に接しよう。
これが一番相手への敬意になるから。