どうも理系です。
今回も論文紹介です。
道徳記事ではありません。脳科学記事です。
正しさとは。。。というワードに「ルール・正義」という言葉を連想したため、今回は社会のルールを脳科学で解説する。
ルールに
ブラック校則が話題になるたびに、なぜ、そのルールに対する疑問を持たないのか。時代遅れなのになぜ変えないのか、昭和脳、洗脳されているなどという意見を見る。
で、ここで疑問に思うことがある。なぜ、そんな理不尽クソルールを受け入れているのかということである。
脳科学の観点から見ると、以下の二つの仮説が浮かぶ。
仮説1(制裁欲求を満たす口実にするため説)
人はオキシトシンというホルモンの作用により、集団の秩序を乱す者に制裁を加えると、快感を感じる。
詳細は過去記事
そのため、たとえ理不尽ルールでも、それがその集団の秩序であり、本人の自覚なくとも快感のために制裁を加える。そしてルールの変更は自分の特権が奪われることを意味する。だからルールを変えようなんて発想はなく、ルールの変更を恐れてさらに理不尽なルールを追加する。
過激なマイルール厨はまさにこれに当てはまると思う。ルールという正義っぽいもの(実際にはわがまま)を振りかざす。運よくその正義っぽいものを正義と勘違いしてくれる人がいれば、さらにそのエセ正義の掲揚が加速していく。
こうやって自分のエセ正義の信者を増やしていき、ルールに反対することは、強制的に悪者になることを匂わせる。悪者になれば制裁されて当然という風を出され、エセ正義に反する人を袋叩きにする。
仮説2(ルールに慣れた説)
極端に言うと洗脳である。
それ以外の環境におけるルールを知らない、または、最初は理不尽であると違和感を覚えたがいつしか違和感を覚えなくなっていた。
というものである。
もし、これがそうであるならば、脳には流動的に変わる常識を受け入れる機構が存在することが考えられる。
一方で、ルール厨に指摘されて、納得がいかないように、脳には理不尽なルールを拒否する機構も存在することが考えられる。
この点について、
The Neural Basis of Changing Social Norms through Persuasion.
という論文に答えがある。
この論文では、参加者(大学生男女27名)にMRI装置の中で特定の規範(電車内でお年寄りに席を譲るべきだ等)、あるいは非規範的なことがらに対する賛成度の変容を促すメッセージを読む、という形で説得を受けてもらいその時の脳活動を測定した。
説得メッセージには
1)「規範を肯定する説得を行い参加者の賛成度を上げる」
2)「規範を否定する説得を行い参加者の賛成度を下げる」
3)「非規範的なことがらについてそれを肯定する説得を行い参加者の賛成度を上げる」
4)「非規範的なことがらについてそれを否定する説得を行い参加者の賛成度を下げる」の4種がある。
結果
説得を受けている時、その内容が規範に関係しようとしなかろうと、頭前野内側部、側頭極、側頭頭頂接合部といった、他人の心を推し量ったりなど、社会性に関する脳部位の活動が上昇していることが明らかになった。
また、規範に反対するときにのみ活性化する脳部位も明らかになった。
左中側頭回は論理的な推論や再解釈に関わるといわれている脳部位である。
規範に反対するためには、規範に対する考察やその妥当性を考える必要があるが、賛成するときはそのようなことを考えないため、左中側頭回は規範に反対するときにのみ活性化するというのはうなずける。
また、説得中に左縁上回の活動が上昇していると、その規範に対する賛成度が下がることも明らかになった。そのため、左縁上回の活動が説得による心の動きを反映する脳部位であると言える。
まとめ
我々がルールを受け入れるのは、社会性によるもので、ルールに疑問を抱くのは論理によるものであるというのはうなずける。
実際に、頭でルールに疑問を抱いたとしても、人間関係を壊しそうとか社会性が邪魔して、理不尽ルールを我慢して受け入れてしまうのは、まさに上に挙げた脳機構によるものではないかと思う。
今までの伝統的なルールにノーと言えない人は社会性が高い、ノーと言えるもしくは疑問を持てる人は論理力が高い。
コミュ力重視の日本の就活では。。。。
お察しのとおりである。
なお、筆者はコミュ障である。論理力は見てのとおりである。
Adoさんのうっせぇわの「頭のデキが違うので」という歌詞は、今回紹介した知見によると、ある意味正解なのかもしれない。
そして、うっせえわの主人公は極めて論理力の高い人物であることが推測される。