どうも、理系です。
子どもの時には何がいいのか全く分からなかったのに、大人になると良さがわかるものは沢山ある。
食べ物もそうだし、音楽だってそうである。
これは、耳が、目(目線)が変わったというよりも、人間らしい思考を司る脳部位である前頭葉が小学生の時は発展途上であり、大人になって成熟したからである。
脳が変わるということは、同じ情報を見聞きしても、とらえ方(脳がその情報をどう処理するか)というのは変わってくる。
だから、当時は歌詞の文字を追っていただけでも、大人になるとあの曲はこんなに泣ける曲だったのか。。。となるわけである。
そして、実際に私はその現象に陥った。
小学校5年生の音楽の教科書に載っていた、BELIEVEをひょんなことから15年ぶりに聴き、私は涙が出そうになった。
適切な表現が見つからないのだが、周りが敵だらけの状況で急に人にやさしくされたときのような感覚、実家に帰ってきたような感覚。無条件で人に受け入れてもらったかのような感覚。
そんな感覚である。
当時の私は、歌詞の意味なんてほとんど考えずに歌っていた。
「例えば君が傷ついて、くじけそうになった時は、必ず僕がそばにいて、支えてあげるよその肩を」
出だしの歌詞、大人になった今でも、子供だったあの頃でも、それが道徳的に正しいことは分かっている。
しかし、実際はどうだろうか、つらい思いをしている人のそばにいて、支えられる人ってなかなかいない。大多数の人は、関わらぬが吉と見て見ぬふりをする。
自分が傷ついたときに必ず傍にいてくれる人がいるか、あるいは自分がそのような人になれているかと問われると胸が痛くなる。
「もしも誰かが君のそばで、泣き出しそうになった時は、黙って腕を取りながら、一緒に歩いてくれるよね」
大人になったら、人前で泣くことなんてなかなかできない。それどころか、泣きそうになるだけで、「泣けばいいと思ってるのか!」と怒られる始末。大人になって、この歌詞を実現する難しさを知ったからこそ刺さるのである。
サビの部分の歌詞
「今、未来の扉を開けるとき、悲しみや苦しみが、いつの日にか喜びに変わるだろう」
は、完全にレミニセンス・バンプという認知バイアスである。年を取った脳には、過去のネガティブな刺激よりもポジティブな刺激を好んで記憶にとどめたがるだけでなく、ポジティブな記憶を重視し、ネガティブな記憶を過小視するようになるクセがある。
つまり、今辛くて苦しくても、年を取れば、脳の認知バイアスにより、自動的にバラ色の過去という色眼鏡で過去を振り返ることになるので、結局は「あの頃は良かった。昔は良かった」となる。
(ただし、このバイアスが強すぎると、現在と色眼鏡を通してうつるバラ色の過去を比較してしまい、苦しくなるので注意が必要である)
この曲が今も音楽の教科書に載っているのかは不明だが、何気なく歌っていた教科書にのっていた曲が意外と深いと発見できるので、皆さんも、聴いてみて欲しい。
守ってもらうことが当たり前だったあの頃と、自分で何とかしなきゃいけなくなった今、未熟な脳と成熟した脳、同じものでも解釈の深さが全然違う、子供向けの曲と馬鹿にすることはできない。
余談ですが、私はこのあたりの曲が懐かしい世代です。
アラサーの方は、分かるはず。。。